DELUSION
水溜まりに波紋が3つ広がるくらいの間をおいて、彼女は振り向いた。
「ありがとう。そんなに聞きたいなら、聞かせてあげようか」
彼女はわざとらしく微笑みを作って、僕の手を取った。
「ここじゃ雨に当たるから……そこへ」
彼女の指指す先には、ファーストフード店。
心臓が一瞬止まり、次の瞬間にドクリと大きく脈動した。
いちいち、彼女は僕の想像のつかない行動をしてくれる。
いや、それとも僕の想像力が足りないだけなのだろうか。
妙な罪悪感が胸の奥から込み上げてきた。
僕は決して"そんなつもり"ではない、そう、何度も自分に言い聞かせた。
女の子と二人きりでお店に入るなんて、まるでデートみたいだったから。
「行こう。濡れちゃうから」
髪の毛の先から雨粒を滴らせながら急かす彼女の声に、我に帰る。
待てよ。そんな出来過ぎた話があるワケがないじゃないか。
きっと適当にあしらわれるのがオチだ。
それか、変な宗教団体に勧誘されるかもしれないし、
もしかしたら壷やら絵やら売りつけるつもりかもしれない。
……僕という人間には、致命的に想像力が欠如していたようだった。
「貸して」
彼女は僕から傘を引ったくると、傘の下へ手招きした。
誰かに見られて、変な噂を立てられたら嫌だな。
そんな些細な憂いが僕の胸中を支配していた。
「ありがとう。そんなに聞きたいなら、聞かせてあげようか」
彼女はわざとらしく微笑みを作って、僕の手を取った。
「ここじゃ雨に当たるから……そこへ」
彼女の指指す先には、ファーストフード店。
心臓が一瞬止まり、次の瞬間にドクリと大きく脈動した。
いちいち、彼女は僕の想像のつかない行動をしてくれる。
いや、それとも僕の想像力が足りないだけなのだろうか。
妙な罪悪感が胸の奥から込み上げてきた。
僕は決して"そんなつもり"ではない、そう、何度も自分に言い聞かせた。
女の子と二人きりでお店に入るなんて、まるでデートみたいだったから。
「行こう。濡れちゃうから」
髪の毛の先から雨粒を滴らせながら急かす彼女の声に、我に帰る。
待てよ。そんな出来過ぎた話があるワケがないじゃないか。
きっと適当にあしらわれるのがオチだ。
それか、変な宗教団体に勧誘されるかもしれないし、
もしかしたら壷やら絵やら売りつけるつもりかもしれない。
……僕という人間には、致命的に想像力が欠如していたようだった。
「貸して」
彼女は僕から傘を引ったくると、傘の下へ手招きした。
誰かに見られて、変な噂を立てられたら嫌だな。
そんな些細な憂いが僕の胸中を支配していた。
DEAD SKIN MASK
「待って」
何も語りはしない、華奢な背中に呼びかけた。
無機質な視線だけが振り返る。
「……傘」
彼女に傘を貸してやろうとでも思ったのか? 自分は雨に濡れてもいいから?
それとも、2人で1つの傘を使おうとでも?
何を言いたいのか、一体どうしたいのか、自分でもよく分からなかった。
彼女に傘を差し出すでもなく、僕は立ちすくんでいた。
きっと本心では、誰が雨に濡れようが知ったことじゃなかった。
薄っぺらな同情心からの偽善的な衝動。
だから、目的が定まらない。
だから、自分がどうしたいのかも分からない。
ただ、可哀想な彼女の話を聞いてあげようと、そう思っていた。
彼女の話にも、彼女という人間にも、興味はなかった。
ただ、哀れみから彼女に近付いた。
何という思い上がりだろう。
僕は、彼女という人間を容姿だけで判断した。
彼女の話とは何か、それが僕のピアスと何の関係があるのか、ということには一瞬疑問を抱いた。
だが、彼女を追う数秒の内に平静さを取り戻し、何となく、
彼女が言わんとしたことを理解しかけた。
――彼女は皮膚病を患っており、比良坂皮膚科に通っている。
ある日、比良坂皮膚科で僕を見付けた。
だから、僕も何らかの皮膚病を患っていると思ったに違いない。
だが、実際は金属アレルギーのテストをしただけで、その結果は何も問題はなかった。
彼女は仲間が欲しかったのだ。
お互いに慰め合い、相哀れむ仲間が――
という、全く間違いとしか言いようのない、酷い解釈。
「いい」
彼女は困ったように目を泳がせて、そう吐き捨てた。
捨てられた言葉を僕が拾い上げると同時に、
彼女は向き直って歩き出そうとしていた。
「聞かせてよ!」
無意識に喉が震えた。
彼女の話などどうでも良かった。
ただ、善人振りたいがために。
雨粒を拭った彼女の額から、皮屑が舞い落ちた。
何も語りはしない、華奢な背中に呼びかけた。
無機質な視線だけが振り返る。
「……傘」
彼女に傘を貸してやろうとでも思ったのか? 自分は雨に濡れてもいいから?
それとも、2人で1つの傘を使おうとでも?
何を言いたいのか、一体どうしたいのか、自分でもよく分からなかった。
彼女に傘を差し出すでもなく、僕は立ちすくんでいた。
きっと本心では、誰が雨に濡れようが知ったことじゃなかった。
薄っぺらな同情心からの偽善的な衝動。
だから、目的が定まらない。
だから、自分がどうしたいのかも分からない。
ただ、可哀想な彼女の話を聞いてあげようと、そう思っていた。
彼女の話にも、彼女という人間にも、興味はなかった。
ただ、哀れみから彼女に近付いた。
何という思い上がりだろう。
僕は、彼女という人間を容姿だけで判断した。
彼女の話とは何か、それが僕のピアスと何の関係があるのか、ということには一瞬疑問を抱いた。
だが、彼女を追う数秒の内に平静さを取り戻し、何となく、
彼女が言わんとしたことを理解しかけた。
――彼女は皮膚病を患っており、比良坂皮膚科に通っている。
ある日、比良坂皮膚科で僕を見付けた。
だから、僕も何らかの皮膚病を患っていると思ったに違いない。
だが、実際は金属アレルギーのテストをしただけで、その結果は何も問題はなかった。
彼女は仲間が欲しかったのだ。
お互いに慰め合い、相哀れむ仲間が――
という、全く間違いとしか言いようのない、酷い解釈。
「いい」
彼女は困ったように目を泳がせて、そう吐き捨てた。
捨てられた言葉を僕が拾い上げると同時に、
彼女は向き直って歩き出そうとしていた。
「聞かせてよ!」
無意識に喉が震えた。
彼女の話などどうでも良かった。
ただ、善人振りたいがために。
雨粒を拭った彼女の額から、皮屑が舞い落ちた。
カロンの渡し守
「ピアス、開けたでしょう」
僕の左の耳たぶを、彼女の右の親指と人差し指が摘む。
何だ、この女子は。一体何なんだ。
彼女は相変わらず無表情だ。
冷たい視線が僕の身体を射抜き、僕の影を昇降口のタイルに磔にする。
「で、どうだったの?」
何のことだか分からない。何を言っているのか、何の話なのか。
耳たぶごと摘んだピアスを、彼女の指が弄ぶ。
「アレルギーテスト。したんでしょう。どうだったの」
耳たぶを摘む指に力が入る。
耳たぶを引き千切られるような痛みが走る。
激痛と恐怖に喉から浅く息が漏れる。
「う……うん、した」
そう答えるのが精一杯だった。
何の異常もなかった、だから今ピアスを付けているんだと、
後は目で訴えることしかできなかった。
どうやら彼女はそれを読み取ってくれたらしく、
視線を外して僕を解放した。
「私の話を聞いてくれる人を見付けたと思ったんだけど」
彼女は誰に言うでもなく呟くと、傘も持たずに昇降口から出て行った。
彼女の話とは何なのか、それが僕のピアスと何の関係があるのか、気になった。
気にはなったが、あまりにも突然で、不気味な彼女に声をかけることはできなかった。
ただ、校門の方へ歩いていく彼女を、一定の距離を置きながら、
息を殺して追いかけることしかできなかった。
彼女の後ろ姿が雨粒に浸食されていくのをじっと見詰めながら。
僕の左の耳たぶを、彼女の右の親指と人差し指が摘む。
何だ、この女子は。一体何なんだ。
彼女は相変わらず無表情だ。
冷たい視線が僕の身体を射抜き、僕の影を昇降口のタイルに磔にする。
「で、どうだったの?」
何のことだか分からない。何を言っているのか、何の話なのか。
耳たぶごと摘んだピアスを、彼女の指が弄ぶ。
「アレルギーテスト。したんでしょう。どうだったの」
耳たぶを摘む指に力が入る。
耳たぶを引き千切られるような痛みが走る。
激痛と恐怖に喉から浅く息が漏れる。
「う……うん、した」
そう答えるのが精一杯だった。
何の異常もなかった、だから今ピアスを付けているんだと、
後は目で訴えることしかできなかった。
どうやら彼女はそれを読み取ってくれたらしく、
視線を外して僕を解放した。
「私の話を聞いてくれる人を見付けたと思ったんだけど」
彼女は誰に言うでもなく呟くと、傘も持たずに昇降口から出て行った。
彼女の話とは何なのか、それが僕のピアスと何の関係があるのか、気になった。
気にはなったが、あまりにも突然で、不気味な彼女に声をかけることはできなかった。
ただ、校門の方へ歩いていく彼女を、一定の距離を置きながら、
息を殺して追いかけることしかできなかった。
彼女の後ろ姿が雨粒に浸食されていくのをじっと見詰めながら。
SERPENS ALBUS
それはある雨の日のことだった。
昇降口を出た僕の目の前に彼女の後ろ姿が飛び込んできた。
彼女とはクラスも違うし、お互いにあまり他人と接するタイプの人間ではない。
だから、僕は、その後ろ姿から彼女が何者であるかを思い出すのに、半瞬の時を要した。
僕の脳が目に入った視覚的情報に合致する記憶を引っ張り出すのと同時に、
彼女は振り返った。
異澤那海だ。
「ああ、君……」
無表情のまま、彼女は微かに口を開いた。
彼女の顔は、こめかみから頬にかけて白いヒビが幾重にも走り、
まるで爬虫類の鱗のようだった。
時代が時代なら白蛇の呪いとでも言われたかもしれない、
そんなことを思わせた。
「そう……そういうことだったのね」
彼女は僕の顔を凝視して、不満げにそう漏らした。
僕には一体何のことだか分からなかった。
僕が何を言うこともできずにただ目を泳がせていると、
彼女は僕の目の前に顔を寄せてこう言った。
「"耳"よ。"耳"。君の"耳"」
彼女の生温い吐息が微かに頬を撫でた。
昇降口を出た僕の目の前に彼女の後ろ姿が飛び込んできた。
彼女とはクラスも違うし、お互いにあまり他人と接するタイプの人間ではない。
だから、僕は、その後ろ姿から彼女が何者であるかを思い出すのに、半瞬の時を要した。
僕の脳が目に入った視覚的情報に合致する記憶を引っ張り出すのと同時に、
彼女は振り返った。
異澤那海だ。
「ああ、君……」
無表情のまま、彼女は微かに口を開いた。
彼女の顔は、こめかみから頬にかけて白いヒビが幾重にも走り、
まるで爬虫類の鱗のようだった。
時代が時代なら白蛇の呪いとでも言われたかもしれない、
そんなことを思わせた。
「そう……そういうことだったのね」
彼女は僕の顔を凝視して、不満げにそう漏らした。
僕には一体何のことだか分からなかった。
僕が何を言うこともできずにただ目を泳がせていると、
彼女は僕の目の前に顔を寄せてこう言った。
「"耳"よ。"耳"。君の"耳"」
彼女の生温い吐息が微かに頬を撫でた。
SHEOL
夕日に染まり、オレンジになった待ち合い室にいた人たちの顔には、
まるで生気が感じられなかった。
その中に彼女――異澤那海(イザワナミ)――はいた。
学校ではまるで彼女の周りだけ空気が腐敗しているように感じられ、
彼女だけが死人のような異質な雰囲気を持っていた。
だが、ここにいるのは彼女と同じ、生気のない人間ばかりだ。
大きな声で何事かを喋りながら自分の膝の上でミニカーを走らせる幼稚園児くらいの男の子と、
それをなだめる母親だけが生きた人間のように思えた。
男の子の指の関節は痛々しくひび割れ、ただれたようになっている。
皮膚科医院の待ち合い室とはどこもこんなものなのだろうか、
それともこの比良坂皮膚科医院だけがこういう雰囲気なのか、
初めて皮膚科医院を訪れた僕には判断が付かなかった。
僕は別に、皮膚病を患っていたワケではなかった。
耳にピアスの穴を開けようと思っていて、念のために金属アレルギーのテストを受けに、
近所の皮膚科医院を訪れただけだった。
暗くて目立たなくて友達もいなさそうで、
でも特に虐められたり忌避されたりしているワケでもない、
異澤那海という女子を、何故かその時をきっかけに意識するようになった。
異性として、というのではなく、彼女や待合室の患者たちが持つ奇妙な雰囲気が
ずっと心に引っかかって気になっていた。
まるで生気が感じられなかった。
その中に彼女――異澤那海(イザワナミ)――はいた。
学校ではまるで彼女の周りだけ空気が腐敗しているように感じられ、
彼女だけが死人のような異質な雰囲気を持っていた。
だが、ここにいるのは彼女と同じ、生気のない人間ばかりだ。
大きな声で何事かを喋りながら自分の膝の上でミニカーを走らせる幼稚園児くらいの男の子と、
それをなだめる母親だけが生きた人間のように思えた。
男の子の指の関節は痛々しくひび割れ、ただれたようになっている。
皮膚科医院の待ち合い室とはどこもこんなものなのだろうか、
それともこの比良坂皮膚科医院だけがこういう雰囲気なのか、
初めて皮膚科医院を訪れた僕には判断が付かなかった。
僕は別に、皮膚病を患っていたワケではなかった。
耳にピアスの穴を開けようと思っていて、念のために金属アレルギーのテストを受けに、
近所の皮膚科医院を訪れただけだった。
暗くて目立たなくて友達もいなさそうで、
でも特に虐められたり忌避されたりしているワケでもない、
異澤那海という女子を、何故かその時をきっかけに意識するようになった。
異性として、というのではなく、彼女や待合室の患者たちが持つ奇妙な雰囲気が
ずっと心に引っかかって気になっていた。


